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ナイロビ沼の女主の話 
(青春編  リバーハウス物語)
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【夜の娯楽は映画】

最近では、ナイロビのほぼ全家庭にテレビが普及したが、当時は、ごく 一部の高所得者家庭の高級品。放送時間も夜6時から10時ごろまでで 、一般市民の娯楽は、映画であった。リバー住民も週に1、2回、夜8 時から始まる映画に集団で出かけた。皆で早めに夕食をすませ、イク バルホテルの傍の映画館へ行く。直行する時もあるし、『モダングリー ンバー』という明るい夜の商売斡旋所のような酒場で喉を潤し、客達と たわいもない話しをしてから映画館へ行った。

開発途上国では、ほとんど全ての国がそうであるが、催しもののまず最 初に国家が流れる。脱帽、起立をして静粛にしなければならない。そ れを犯した者は、係員に腕ずくで外に出され、事が複雑になると警察 所へ突き出され、釈放されることなく翌日の裁判にかけられ、罰金刑を うけることになる。

ケニアの映画館だから日本の場末の映画館を思い浮かべるであろうが 、ところがどっこい、どんな場末の映画館でも館内はりっぱである。ま ず座席の配列に驚かされる。係員が席に案内する全席指定席。よっ ぼどでないと立ち見はできない。スクリーンが見やすいように座席は一 列一列互い違いというか前の列と少しづつずれているので、前の席に 大男が座っても頭で前が見えないということはない。

場末の映画館は、カンフーもの、インド系の上映が主であるが、上映 開始と同じに、館内は映画と観客が一体化された多重劇画状態になる 。主役が危なくなればブーイングが飛び、敗れたりでもしたら「オー、ノ ー」の連続、ロマンチックなところになれば、冷やかしの口笛が飛ぶ。 主役が必ず勝利をおさめる、ハッピーエンドと決まった終わりのパター ンであるが、観客はみな満足顔で家路に急ぐ。

最終上映の終了する11時ごろになると、刷りたての翌日の新聞が発売 され、新聞売りのお兄ちゃんが気ぜわしく走り回って商売をしている。 ドアの閉まった各商店の前では、重そうなオーバーコートを着込んで 焚き火をしているアスカリ(夜警員)が眠そうな目で座っている。彼らに 「ジャンボー、バリディサーナ*」と声をかけながら、リバーの住民も人 通りが全くなくなった道の真中を我が物顔で闊歩しながらねぐらに急ぐ 。

* ジャンボー、バリディサーナ:スワヒリ語で『やあ、寒いネー』の意味

【警察官とのかけひき】

公務員給料の支給遅延はほぼ毎月の事である。給料が支給されない 月末は、警察官が夜の街に徘徊し、安宿の手入れ捜査が展開される 。ターゲットはID(個人証明書)未所持者の摘発である。ナイロビは、 近隣諸国からの密入国者が多く、特に、ウガンダ人、タンザニア人は、 エチオピア人やソマリア人のようにケニア警察も踏み込めないような部 落、スラムを形成していないので、ナイロビの木賃宿を渡り歩いていた 。

ご多分に漏れずリバーハウスにもウガンダ人が必ず一人や二人生活し ていた。警察官が来ると、1階に待機しているアスカリが悲鳴に似た大 声で喋りだすので、一応の察しがつく。それでも、上手く隠蔽できなく て何回かに一度は逮捕者がでる。リバーハウスではこれを『ウガンダ 人狩り』といって月末の恒例行事でもあった。

例え映画の帰りでも夜女性だけで歩いていたら売春行為をしていたと 難癖をつけられて捕まるケニア人もいる。理由は、何でもよかった。警 察官に尋問された時、いくらかでもお金を持っているといいのだが、ま ずといっていいくらいみな手持ち金ゼロである。一度警察所に連れて いかれたら、必ず裁判である。金曜日に逮捕されたら目も当てられな い。土曜、日曜は裁判所も休みなので、月曜日まで牢屋で過ごすこと になる。どんどん逮捕者が増えるので、日曜の夜は座って寝なければ ならない。特に一斉取締りをやった時は、牢屋は満杯状態となって、 凄まじい喧騒である。

逮捕者といっても窃盗犯ではないので面会は自由、差入れもOK。煙 草も謁見室で堂々とプカプカ。裁判は、事務的に短時間で終了するが 、警察官の偽の罪状でも被告人が「ノー」と言ったら、何年でも裁判は 続けられる。みな、その辺の状況は充分解っているので、どんな罪状 でも「イエス」。罰金刑が言い渡されると、傍聴席の友人、縁者が一目 散に会計に走り、領収書を手に、被告人控え室前に並び、無事釈放と なる。この釈放金はハランべーと称されて近くの住民から集金される。

【屋上ビアガーデン】

夜の盛り場は、これでもかというほどのボリュームを上げて音楽を流す 。その音にまけないようにおしゃべりをしなくてはならないので、当然み な怒鳴りあいながらの会話となる。レゲエの神様と言われ今でも根強い 人気があるボブ・マリーンの歌が一番多い。一時期ボブ・マリーンにま ぎれて河島英五の『酒と泪と男と女』がよくかかっていた。彼は、決して 歌わなかったが、レコードだけはしっかり持参したのだ。

リバーハウスの1階にある酒場は地酒専門のバーである。ビールより 安く、少ない量で酩酊状態になれるので、最貧困層の人々の溜まり場 だ。日雇い労働者、路上生活者、大道芸人と昼間繁華街の片隅でよく 見かける連中ばかりだ。リバーの住民は、下の連中のようにあっけらか んとなるには、屋上でビールを飲んだら楽しいだろうという単純な発想 でビアガーデンをやろうといことになった。

飾り付けるものが何もない。小学生になった気分で雑誌をちぎって輪 飾りをつくり、ろうそくをたてて、夜空の星を見ながら、ラジカセを奏で て気分は陽。悦に入った者は大声を出すわ、下のよっぱいを挑発す るわ、スタートダッシュを始めるわ、あげくの果ては縄跳び連続飛び記 録挑戦。挑発されて調子にのったよっぱりがコップ酒片手に、階段を 上ろうとアスカリと一悶着始めるわで最後はヒッチャカメッチャカのビア ガーデン開催になってしまった。ナイロビの朝を絶対に見ると意固地 になって飲む酒も無くなったのに寒さに震えながらじっと朝を待つ。朝 日をみるとなぜか『バンザーイ』。日本人なんだね。

【ウィスキーの指し入れ】

車両登録ナンバープレートが赤。俗に赤ナンバーといわれる車両は、 大使館管轄の車両である。そして日本大使館は全世界共通の13CD となる。月1、2回この赤ナンバーがリバーハウス1階にある物乞い酒場 に横付けになる。日本大使館領事の陣中見舞である。

ウィスキー2、3本をかついで運転手抜きでブラーっとやっていくる。情 報収集も兼ねているのであろうが、時には尋ね人探しの依頼であり、 人手の要請であり、近隣諸国の聞き取りであったりする。酒宴が盛り上 がると例の『モダングリーンバー』にリバーの住民を乗せて13CDの車 両でお出ましとなる。いささか「それはまずいですよ」といっても「この車 なら誰も手を出せない」と人攫いの如く、ごっそりと車に乗せていく。

帰りは…・・。「領事またどっかに行っちゃった」といいながら千鳥足でリ バーの住民は帰ってくる。私は、このウィスキー陣中見舞に2回はめら れた。最初は、病人を日本へ送り届けること、2度目は日本企業の臨 時手伝い。

最初の誘いの時、トランプのカードのような3枚の白い用紙を用意して きて、「サー引け」「裏に何が書いてある」「お前にとっていいことだ」紙 を覗きこんだ一人が、笑いながら「金儲け」。「時間に拘束されることだ けは、例え領事の頼みでも聞けない」「2週間だけ我慢しろ」「本当に2 週間だけか」「人助けはしておくもんだ」「私は高いよ」。結局ひきうけ た私は、それからというものこの手の臨時手伝いが後を絶たず、アル バイトと旅行の2足のわらじをはくリバー生活者となってしまった。

【夜の託児所】

うきうき顔で「今晩、子供を預かってくれないか。」と化粧ばっちりの、お 姉ちゃんが子供を連れて来る。「今晩子供が邪魔なのね」と聞く方がヤ ボ。彼女とて必死で生きていかなくてはならない。この商売も今が華。 あと5年もすれば引退を余儀なくされるわけだし、どうも趣味と実益をか ねたてっとり早い出世術のようだ。

子供もよその家に預けられることに慣れているせいか涙一つ見せず、 けなげに母親の言うことに首を縦に振る。最初はじっと、部屋のすみで 何を考えているのか無表情で座っている。それは、おりこうさんである 。それが、回を重ねるごとに、だんだん我が物顔になって、あっちこっ ちのものを触りだす。全てに興味津々。大いに結構。幼児スワヒリ語を 習得するのに絶好のチャンスだ。リバー保育園のお遊びは、トイレット ペーパーのしんで作った糸電話しかない。

とりあえず、子供中心に時は動く。何とか時間つぶしをしていると…・・ 双方眠くなる。『どうせあんたのかあちゃんは帰らないよ』と心で言い聞 かせ、おねしょだけはしないでねと神に祈りながら雑魚寝状態で就寝。 乳飲み子を連れてきたつわものもいたが、これは一度だけで遠慮させ てもらった。子供を持ったこともないリバーの住民には手におえる代物 ではない。

夜の託児所も見るからに東洋人との間の子供となるとなぜかせつなさ が増す。お姉ちゃんたちも生まれてくるまで誰の子か確信がもてないの であろうが、めったなことがない限り中絶はしない。授かった子供は、 自分の子供として父親を探すことなく女系家族で育てていく。お姉ちゃ んたちは悲惨な生活をしいられるわけだが、この現実を知らずに脳天 気に遊んでいる輩の方がもっと惨めな感じがする。


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