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ナイロビ沼の女主の話 
(青春編  リバーハウス物語)
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【イデオロギー闘争】

作家Ngugiと彼がケニアを追放されるまで接触していた者。ナイロビ大 生とイデオロギー闘争していた者。エステイト、スラムに入り込んで生活 をしていた者。むしゃぶるように本を読んでいた者。近隣の街に出かけ 部族論にたけていた者etc. etc....。

動物自然公園に行くことよりケニア人とのかかわりに重点がおかれた生 活。1970年前後の学園、安保そして三里塚闘争を経験してきた者も しくはそのシンパまたそれより若い世代の彼らは、党派が違っても過剰 なエキサイトをするでもなく穏やかな口調で淡々と討論していたリバー の住民たち。

彼らのバックグランドはしらないが、様々角度からのケニア論、世界一 般的な政治論が展開された。特に、1980年代初頭は、タンザニア、 エチオピアは社会主義国、ウガンダは軍政、南アはアパルトヘイトの 時代であり、論争をするには格好の材料が揃っていた。ケニアは、資 本主義の要塞でもあったため多くのアメリカ兵がモンバサに入港して 来ており、好景気であった。近隣諸国のどんな片田舎にいってもケニ ア産のオモ(粉石鹸)。キンボ(食用油)、ブルーバンド(マーガリン)が 売られていた。公には国交がない(国境が閉鎖されている)のであるか ら、全て密輸である。

しかしながら、ケニア国内では、徹底した言論の規制がしかれたいた。 前述した作家Ngugiは、ケニア国の最高峰に立つナイロビ大学文学部 部長であったが、政府批判の演劇をキクユ語で上映しようとしたが、そ れがカレンジンであるモイ大統領に発覚され、国外追放となった。

酒場という酒場には私服警察官がおり、ちょっとでも政治の話しをする と、その場で尋問にあった。もし、ケニア人が外国人と政治の話しを公 共の場でしようものなら、警察官に『お前は外国人に社会主義を感化 されている』と要マーク人間として、そのケニア人はブラックリストに載 せられた。特に、ナイロビ大学生の思考は、大学生に限らず講師も教 授連も、危険と頭ごなしに決め付けられることが多かった。よく投石闘 争もあった。学生の方が警察部隊よりも強く、大学は閉鎖されることが 多々あり、一般に卒業まで6年間位かかり、4年間で卒業なんて、全く 例がなかった。

【3冊の大学ノート】

リバーハウスの記録は、ナイロビを離れるにあたって密かに書き残され た旅人のメッセージを納めた大学ノート3冊におさめられている。その 中には、山登りの情報、国境の超え方、田舎町の地図、安宿及びレス トラン情報、オートバイ族のためのガソリン調達法 etcも載せてある。リ バーでの生活写真はほとんどない。何故か写真を取ることを誰もが否 定するかのように、ナイロビへの思いを心の中に秘めていた。リバーの 記録をおさめた大学ノートも世界を旅し、今は広島にある。

「地球の歩き方、アフリカ編(今は、もっと分類されているが)」初版本 の編纂に多くのリバー住民が協力し、リバー住民の旅の姿、情報が大 いに反映されており、ここリバーハウスから誕生したと言っても過言で はない。