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2002年5月 工事現場見学作文(2)
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  1. Atieno Rose Aduor

殆ど全ての国で生徒が違った場所を尋ねる事はワクワクする事であり、興 味深いものです。私達が見学コーディネーターのサムエル・アウコ氏から 近々ソンドゥ・ミリウ発電プロジェクトを見学に行くと聞いたのは先月の木曜 日の事でした。

この知らせを聞いた時、私達はまだ訪ねた事が無い場所へ行けるので、沢 山のめん鳥にか囲まれた雄鶏のように喜びました。先生が早めに教えて下 さったので、私達は見学の日までに制服をきちんと整える事が出来ました。 家に帰ると可能な限り制服を綺麗にしました。私達は事務所の門の前に集 合するように言われました。その日が来た時、私はちゃんと目覚め、朝ご飯 を用意し、水浴びをし、靴を磨き約束の時間に間に合うよう家を出る準備を しました。

私は足音を立てないように歩きました。私が門の前に着いた時、友達は皆 来ていました。私達は私達の学校の卒業生であるジェームスに事務所に案 内されました。そこでプロジェクトがどのように始まったのか、そして、その 後どういったものが成されたのか簡単な説明がありました。

15分くらいで事務所を出て、サハラの熱風かと思う早さのバスで取水堰に 向かいました。思っていたよりもずっと早く着きました。私達が着いた所で は、重機が色々な仕事をしていました。私達はミリウ川が流れている所も見 ました。それは私達が立ちすくんでしまうほどのものでした。

案内をしてくれたジェームスによって、あちこち見た後は私達の脳みそは 科学的に発展していました。私は日本人が如何にして何も無い荒れ地見た いな所に綺麗な家を建て現在暮らしているのか考えました。ニャカチの人 々が出来なかった高い技術をあちこち見て回りました。私は一生懸命勉強 して技術者になりたいと思いました。

次に私達はトンネルに連れていかれました。トンネルに入れられた時、私 は怖さの余り、心臓がトンネルから引っ張り出されそうでした。この世の終わ りかと思いました。トンネルを見た後、迫田氏の事務所に戻りました。

プロジェクトはニャカチの多くの人に雇用機会を与えましたが、いくつかの 問題も残しています。例えば、いくらかの人々が立ち退きで土地を失いまし た。見学の全過程が終わった時生徒の一人がお祈りを掲げ、校長先生に より迫田氏にお礼が言い渡されました。そして、私達は興味深い場所を去 りました。森の近くを家へ向かって歩きました。

家に帰った時、私の脳みそは教えられた事で肥大していました。トンネル は母が私を産み落としてから今だかつて行った事が無い所でした。私は高 い技術を生み出す技術者になりたい旨を両親に伝えました。私は一生懸 命勉強し、夢をかなえ、両親の目に埃を掻けるような事はしないと約束しま した。

以上の事が、私達に科学に目を向けさせてくれたソンドゥ・ミリウプロジェク トの現場見学で見た事です。あの日は幸せな日でした。そしてまたプロジェ クトの現場見学へ行って、もっと色々な事を学びたいなと思いました。


  1. Mbeche Enock

8時に校長先生が私達の教室に来て5月7日にソンドゥ・ミリウプロジェクトの 現場見学に行くと言われました。

それで、生徒たちには現場見学へ行く為の準備をするのに十分な時間が ありました。GHC (Geography, History, Civicの略)の先生は現場見学へ行った時に、ガイドに聞く質問を与えまし た。現場見学の前日の朝会で校長先生は私達に時間通りに学校へ来るよ うに言いました。私達は王様と同じ位嬉しく、日本工営の事務所へ行きまし た。ジェームス氏にあい、事務所へ連れていってくれました。彼は現場見 学に行く前にいくつかのことを指示しました。

私達は安全第一を考えてヘルメットを渡されました。私達はアポコへ向かう 為にここを後にし、バスの運転手は凄いスピードで走りました(安全第一は どこ?)。あっという間にアポコ(取水堰地点)に到着しました。

そして私達は、トンネルの在る第3作業抗に着きました。そこは大変暗かっ たですが、電気は付いていました。そこで、いくつかのことをメモしました。 ジェームス氏が事務所に帰る途中で、私達の写真を取っていました。私達 はソーダをもらい、生徒も先生も日本工営に感謝し、借りたヘルメットを元 の場所に戻しました。

ジェームス氏が現場から採取した数種類の石を見せてくれました。石には 名前が書いてあり、郵便箱のようなものに入っていました。

この現場見学ツアーの後、私達はプロジェクトはこの辺りの人を雇用し生活 向上に役立っているんだなあと実感しました。私はこのプロジェクトが完成 した後で私達の家に電気が来て、そしてそれが溶接や家庭で使う物に役 立って欲しいと思います。

このプロジェクトが来る前は、この辺りには道路の陥没など多くの問題があ りました。お金を寄付してくれたり、学校、図書館、そして道を作ってくれた 日本の人々に感謝をします。彼等は私達がコミュニケーションを取れるよう に電話も設置してくれました。

このプロジェクトは2003年にすばらしい成果を残して終わります。(実際は2 005年です。)私達は日本人がどのような技術で構造物を建設するのか不 思議です。私はかつて私のお母さんが私を生んでから見た事が無い数々 の重機を見て、興奮したまま家に戻りました。

私の人生で特別な日でした。注: 文字用の領域がありません!
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