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ナイロビ沼の女主の話 (お葬式編)
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ケニアに1980年代初めにふらっと迷い込んできた日本の娘が、今 ではナイロビ沼の女主になっています。世間の移り変わりと自分の人 生を振り返りながら、ケニアの風習を辛辣にそして生々しく夜な夜な 書いています。見て下さい、そして聞いて下さい。

(緑ちゃんと純君のおかーさんです。若田部元子)
お 葬 式

最近は、新聞を使って訃報のアナンスをするのが、ケニアとりわけナイ ロビのステイタスの1つとなりつつあります。新聞の2〜3頁がほぼ毎日 訃報の記事で占められています。訃報のアナンスはラジオでも放送し ています。訃報の文章には定型があるらしく殆どが同じような文面です が、日本の訃報内容とは若干趣が違います。

パスポートサイズの死亡した人の写真は、横向きあり、大学生でもない のに大学卒業時の写真あり、テンガロンハット姿あり、映画に出てくる 大きなつばさの帽子ををかぶった女性あり、笑っている写真ありと多種 多彩なグラビア写真のようです。

訃報の文章は、死亡した人はだれそれの夫(妻)であり、だれそれの 父親(母親)、そしてだれそれのおじ(おば)と家族紹介が長々と続き、 何日にどこそこで埋葬式もしくは葬儀の会議が執り行われると続きます 。死亡の原因は、交通事故でもない限り殆どがshort-illness(短期療 養)となります。脳梗塞とか肝不全とかの詳しい死因は全く記載されず 死亡年齢も極まれにしか明記してありません。要するに、『おーい、ど こそこの誰が死んじゃったから葬式に来てくれよー』という意味合いの アナンスでしょうか。

最近は、ナイロビへの出稼ぎ者が増えたために週末葬儀を執り行うの が通例となってきました。

西ケニアの方が儀式を重んじる傾向にあるようです。また、互助会の 結束も強いようです。西ケニアの人はよく葬式ができたといって給料を 前借りして会社を休む。涙を浮かべて「だれそれが死んだ」と言われて も私にはピンとこない。それに比べてキクユ族が多く住む中央ケニアは さっぱりしているというか、心は悲しいのだろうがあきらめが早い感じを うけます。

【延々と続く葬式会議】

都市部を除いて電話が余り普及していないケニアですが、死亡の伝達 は、電光石火のごとく翌日までには親族に届きます。地域一丸となっ ての口コミ伝達が四方八方に飛び、親族はとにかく有り金はたいて、も しくは借金してでも駆けつけます。Excuseは許されません。欠席でもし ようなら葬式どころではなく、その話しでが延々と続いてしまいます。

一同が介したところで、葬式の会議に入ります。会議といっても多くの 場合は、いかに葬儀費用を捻出するかが主目的の会議です。不思議 なことにこの会議を酒場で行うケースが多々あります。この時は悲惨で す。持ち寄ったお金が集まった人たちの桃山話になり、酒の量は増え るわで、義援金よりも酒代の方が高くなり、なかなか会議は進行しませ ん。この葬儀費用の捻出は、ナイロビへの出稼ぎ家族や地域互助会 のような組織がやらざるをえません。

葬儀費用が集まった所で葬式の準備が始まります。葬儀費用の会議 の時はあまり年寄りは出席しないのですが、葬儀の準備の時は、いろ いろ口出しをしてきます。費用と儀式内容の食い違いでそこでまたす ったもんだがあり、若者と年寄りとの間の妥協線をみいだすのにまたま た時間がかかります。

その間、病院で死亡した人は、病院か公共の霊安室に埋葬式まで安 置させられます。日本のように自宅に連れて帰ってお通夜して葬儀を やってという流れはありません。葬式の準備が終るまで安置所でずっと 待って、当日埋葬場所へ直行です。自宅で死亡した場合は、死亡し た人の周りを塩とバナナの皮で固め腐敗を防ぎます。塩とバナナの科 学的根拠もしくは迷信なのか今一つわかりません。

この葬儀準備は非常に時間がかかるので、親戚の死亡の連絡を受け た雇用者は少なくとも一週間は職場に戻らないなと雇用主は観念しな くてはならない。

【なき女の登場】

葬儀が行われる家に必ずではありませんが、多くの場合、なき女が登 場します。自宅で死亡した場合は別として、死者なき通夜は、延々と埋 葬式まで続きます。その間なき女が居座り弔問客が来ると『わんわん』 大声で泣き始め、体全体でその悲しみを表現します。

弔問客がかえると泣き声はやみ、何事もなかったかのように歓談が始 まります。その演技はそれはそれは見事なものです。泣き女の存在を 知らない時期に弔問に行った時、ケニアの人は親族の死に対してこん なにも大胆に表現するのか、悲しみ方が余りにも殺気を帯びているの で恐怖心すらもったものです。

【死者は自分の土に戻る】

埋葬は一般的に土葬です。ヒンズー教徒は灰にしてインド洋に注ぐタ ナ川もしくはアティ川に灰を流します。

土葬の場合は、自分の土地に埋葬します。原則として男性の場合は、 第一夫人の玄関に近い庭に埋葬します。女性の場合は、主人の土地 に埋葬します。ケニア人は、土地=自分の墓場的な発想があるため、 土地所有にはかなりこだわります。共同墓地もありますが、そこに埋葬 されることは、自分の土地を所有していないことを意味しておりとても恥 ずかしいことのようです。

ナイロビ市の地価は、地方に比べて何十倍も高いため多くの人は地方 に土地を購入し、そこを安住の地とします。例えナイロビで生まれ育っ たとしても、延々と死者をその人(家族)の土地まで運びます。これが、 当地ケニアのしきたりのようです。

ちなみに1エーカー(約1,200坪)がナイロビ近郊で150万円位、地方 なら10万円位でしょうから、パジェロクラスの車両を購入するよりはるか に地価は安いのです。また、死者は登記書(Title Deedの土地)のあるところにしか埋葬できないと法律で決まっています (ナイロビ市は殆どが国もしくは地方自治体の借地です)。交通の便が 悪くとも車より土地がケニア人にとっては財産なのです。

【埋葬の儀式】

日本と同じように隣近所の人が、埋葬用の穴を掘ったり、参列者のた めに食事の用意をします。神聖なる墓に米などの穀物を巻いたり、水 をまいたりします。そのあと、延々と親族の演説があってから埋葬です 。最近は、教会で葬儀をやって埋葬は簡単にという風潮になってきま した。

参列者は黒い服を着る傾向になってきましたが、あまり黒にはこだわっ ておりません。結婚式のようなあでやかな服を着ている人もいます。ソ ウルというのでしょうか、葬儀の時の歌声は、別に練習をするわけでも ないのですが、バックミュージックなしでみな上手に歌います。全てが 万時、計画があってないようなものなので1日がかりの埋葬式になること も少なくありません。

西ケニアの方では、親族に死者がでると、みんな髪を殆ど丸坊主状態 にきる風習がありました。10年位前までは女性の髪もアフロヘアという のでしょうか、男性のように髪を短くしていましたが、それをさらに短く かって悲しみを表現したようです。その風習もだんだん変わってきて、 男性だけが髪をきり、女性は襟足のところだけをきるようになりました。 今はかつらが普及しているので本当に髪をきっているのかよくわかりま せん。たぶんナイロビ生活者は切っていないでしょう。



【『金も出すけど口もだす』とわめいた私の場合】 次ページへ続く
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