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ナイロビ沼の女主の話 西ケニア便り(石に刻む)
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ケニアの旅は、自然動物と白い砂浜が定番となっていますが、日本に 、民芸品の里、片栗の里、川くだりがあるように、ケニア住民にもそん な日常生活に密着した旅の仕方があります。今年に入り、このイースタ ー休日で3度目の西ケニア探索となりました。お正月は、泥んこになり ながらのフラミンゴが飛来する幻の湖への探検、2月中旬には、ソンド ゥ川の魚の生態リサーチへお邪魔虫参加とちょっと学術的な行動、地 域婦人隊のほのぼの蜂蜜採集。そして、今回は、ケニア物産展にはか かせないソープストーン(石鹸石)の里への探訪です。

今年のイースター休日は、長引く雨期の影響を受けて、ケニアにあっ て雪が降るナンディベアでは、霧とスコールと雷の追いかけっこであっ たが、いつもながらの閑散とした広いゴルフ場には鳥のさえずりと私の 怒鳴り声だけが響き渡る。ナンディまでのスカイラインをいろは坂なみ に上っていく景色は日本を思い出させる。これで、温泉でもあれば、秘 境の里といった所でしょうか。

残念ながら、ナンディベアには、簡易シャワーのみで私には寒すぎる 。赤道直下といって甘くみてはいけない。夜は暖炉の火が必要なくら い本当に寒いのです。暖炉の前でのティータイム。なんだかヨーロッパ の絵本の主人公になったような光景ですが、現実は木材をくべたり、 頭をクラクラさせながらフーフーと火を起こしたりと『3匹のこぶたとおお かみ』状態で大忙しです。

ベースキャンプの朝は早い。6時にはピーピーと甲高く鳴く小型のとり 、バタバタと羽をこぐ大型のとり。早起きは三文の得といって早起きを して散歩をしていた去年とは違い、子供は熟睡の域。最近は7時半に なってもなかなかベッドから離れられない。慣れとは恐ろしいもので、 緊張感ゼロの朝寝坊である。という私も最近は、目覚まし時計持参で ある。

朝食後、じゃ〜そこまでドライブという気分で地図を片手に出発。工事 現場(取水堰)を通り、自転車タクシーお兄ちゃん達のしんどそうな姿 を横目に見ながら分水嶺が人道になったような道を幹線道路まで登り たつめ、一山越えるだけでこんなに景色が違うのかと思うほど、土地の 豊かさの違いを感じながら、マサイマラ動物保護区方向に向かってひ たすら走る。

走ること2時間、今回、私達が探索するキシイに到着。日本ではナイト ランナーが話題になったようだが、ここ、キシイでのナイトランナーの出 没は余りにも有名でタブーな話しです(ちなみに、キシイのナイトランナ ーは、おどろおどろした秘密結社のような組織であったため、ビクトリ ア湖のルシンガ島で創作されたものが日本では放映された由)。

ここから、さらに車で走ることさらに1時間(思ったより遠かった)、タバ カという日本語では石鹸石と呼ぶソープストーンの彫刻を生産している 村に着きました。とりたてて特徴のある村ではなく、ケニアのどこにでも ある部落の風情となんら変りはありません。

ソープストーン工業というケニア産業の一つを担っている村のわりには ケニアの田舎のどの村でも味わう明るさの中に貧しさが漂っています。 ただ、観光客に無縁な人々は世間ずれがしていなくて、ひとなつこく、 素顔の彼らがそこにいました。山の斜面にそって人家が立ち並びその 軒下でラジオを聞きながらたんたんと石を刻む。道具は、日本のかま・ つち・のみのようなもの一つですが、無造作に動く彼らの手の動きは、 計算されたような正確さで石を削っていく。磨きの前の段階まで一人の 職人さんの手で作り上げられるので、きっと良く見れば各々特徴が違う のでしょう。

名前の如くソープストーンは柔らかい石であるためちょっとした力の入 れ具合ですぐに石が割れてしまう。いたるところに失敗した石の残骸が 無造作に棄ててあることがその事を物語っている。完成まじかで壊れよ うもしようなら、誰だって落胆と怒りで投げ捨ててしまうだろう。残骸の中 から、未完成品/壊れてしまったものを拾い上げ『素朴でいいな〜』と 悦に入るのは、そこに円空作品のような荒削りのよさ、未完成の中に秘 められた創造性を掻きたてられるからでしょう。

彼らの技巧は、特別に職業訓練を受けたものでもなく、親から子へ受 け継がれた伝統芸でもなく、しいて言えば徒弟制度のようなものですが 、私達が編物を独自で覚えていくように、飽きることなく、くり返し練習 することで独自の工法を生み出しているようです。彼らはプロという意 識ではなく生活のための技術とういう感覚であり、都会のケニア人の姿 とは違った辛抱強い職人芸にケニア人も見捨てたものではないと再認 識させられた。

一人の若者が不器用な手つきで模様をつけていた。まだまだ一つの 作品を作るまでにはいかないけれど、「これでもお金貰えるんだ」と嬉 しそうに話してくれた。フッとどこかで通りすぎたような思いに陥りました 。忘れかけていた半世紀程前の私の町に似ています。小さな町の中に 様々な職種があったものの、その土地に根ざした生活観あるれる仕事 場が手の届く所にありました。都会の風にさらされることなく、それは独 自の文化でもありました。

ソープストーンの村は貧しいながらも、ナイロビからの買い手市場がバ ックにあることで、日本のように伝統芸術分野にありがちな後継者問題 には無縁なようです。日本と違い伝統芸術という域が確立されていな いケニアの地において、それを生活の糧として継続していくことはある 意味では非常に辛苦なことですが、私達日本人より生きる術の力を持 つ彼らはきっと細く長くこの伝統を守りつづけてくれるでしょう。

ケニア社会もこのような家内工業的な工芸品に手をさしのべられるだ けの経済的余裕が生まれることを願ってやみません。ポラロイド写真を 撮ってプレゼントされその写真に喚起する姿は、20年前の写される喜 びとなんらかわらぬケニア人の姿であり、ゆっくりゆっくりと時が刻まれ ていることが忘れかけていた私を呼び戻すような静かな叫びへの探訪 でした。